
プーケットにて。
あれ、なんか揺れてる?と思ったら、
津波警報発令。みんなで逃げる!
海の見える高台へ。
街中の人たちが逃げて行く。
高台で2時間あまり。海を眺める。海は静か。
東北で逃げた人たちは、
こうして自分の町が飲み込まれていく様を見ていたのかな。
想像しただけで、つらくなる。。。
近くの売店のテレビでM8.6の地震がスマトラ沖で起こったことをしる。
プーケットでは2004年以来、一年に2、3回、津波警報が出るらしい。
もちろんあれ以来大きな被害はないわけだが、
警報が来るたびに、こうして逃げなきゃいけないというのは大変だな。
でも、地元の人は逃げてるときも、なぜかみんな笑顔で、
さすが微笑みの国。
洪水がおこったときもそうだったけど、
悲惨な状況の写真に映る人たちはみなどこかおだやかな顔してた。
それでも当然8年前はそれぞれにそれぞれのつらい思いをしたわけで、
東北もそうだけど、なんだかんだとぼくらが慮ったところで、
これは実際に経験した人でないとわからないなと強く感じる。
にしても、こうしてたびたび警報がなると、
きっとなかには、今回もだいじょうぶだろうと、思う人もでてくるだろう。
実際に町には逃げない人も少なからずいた。
ウソつきのオオカミ少年の村の人たちように、
それでも人はいつしか忘れていくのかな。
イソップではウソつきのオオカミ少年は悪者として描かれてるけど、
あの教訓を忘れるな、というなら、
オオカミ少年のとった行動は間違ってなかったようにも思う。
少年はただのウソつきではなく、預言者だったともいえる。
ウソには主語が必要ないという。
それがオオカミだろうと、ライオンであろうと、さして変わりはないと。
であるならば、
予言にも主語は必要でなくなるともいえる。
その場合、主語はいつも神だ。
あってもなくても同じじゃないか。